2018年4月15日日曜日

フゴッペ洞窟のこと

"フゴッペ" は、アイヌ語の「フムコイペ(波の音がよく聴こえるところという意味)」がなまって名付けられたらしい。日本海が目の前ですからね。

1500年前の続縄文時代に描かれたと言われているらしく(時代区分が本州と北海道で違うのがとても興味深い。)、昭和25年に中学生の大塚少年が海水浴のついでに見つけたらしい。大塚くん、グッジョブ。

実は、10年前に一度トライしたことがあるんです。2月くらいかな、雪深い時に。
周辺の景色は真っ白で、ズボンの下にレギンス履いて、長靴に4枚くらい重ね着した上にダウンジャケット。布団のような格好で小樽からバスで行ったんだけど、バスの中の乗客も徐々に減って行き、すごい吹雪でバスの外の景色も見えなくなり、私は一体これからどんな異世界に行くのだろうと心底不安になった。
バスを降りると人もいなければ看板もなく、しばらく歩いた。
するとフゴッペ洞窟こちら、と矢印の標識が。しかしその方向に歩けど歩けど何もなく、
ただ、白い景色が続く。

道の途中に止まっていた大きなトラックの高い座席でお弁当を食べてるおじさんに
手を振って、叫ぶ。

「フゴッペ洞窟は、どこですかー!!!」
「こっちじゃないよー!!!」(吹雪のため、声を張り上げる)

車の標識を見間違えていました。
車には数十メートル手前に看板があるでしょう、あれ。
そこを徒歩で曲がっていました。えんえんと道を戻り、がんばってフゴッペ洞窟の博物館らしき建物の目の前に辿り着く。すでに顔はかじかみ。頭の中までまっしろ。

・・・休館中。

こんな時にネガティブな気分になるとヒトは凍死するのかもしれない。
と気を取り直し歩き始めると、道路を渡った海沿いに温泉がみえた。
神さまはいたもんだと近付くと、・・・休館。

バス停に向かってすごすご歩き出すと、ドライブインがあるではないか。
忘れもしないドライブイン。入るとインベーターゲーム卓がテーブルになっている。
窓の外には日本海の灰色の海の波。音楽は忘れもしない「サバ(シバ)の女王」。

https://www.youtube.com/watch?v=uoJ-aZeygiU

・・・思えばここに来るバスの中で、どんどん景色が白く消え、周辺から生きている人も消えていった頃から、私の頭にはずっとサバの女王が流れていた気がする。

打ちつける灰色の波と、サバの女王。

きっと寒すぎて、思考が停止していたのだろう。ドライブインで刺身定食を注文してしまう。
身体は末端まで冷えきっているのに・・・。
周りの地元の人たちは、海老フライ定食とか、ハンバーグとか、温かいものを食べている。
しかし後悔はない。あの刺身定食の帆立の甘さは今でも忘れられない。


長くなってしまった。
それだけ思い入れのある刺身定食、じゃなかった、フゴッペ洞窟にやっと行くことが出来た。

館内に入ると、宇宙的な音楽が流れ、受付のお兄さんが丁寧に対応をしてくれる。
レプリカの洞窟や、展示品のあいだを抜けるといよいよ洞窟の入り口へ。
ガラスケースに囲まれているが、保存のこともあって完全に暗闇である。
神秘的な雰囲気があり過ぎて、他にお客さんもいなくて中に入れず、もぞもぞと数十分、
入り口の前で行ったり来たりして過ごす。もぞもぞ、もぞもぞ・・・

意を決して受付に戻り、親切なお兄さんになんだかんだ理由つけて(中にあるボタンはライトがつくんですか?など変な質問を重ねた。)一緒について来てもらう。
怖くて入れない、とは口が裂けても言えなかったんだもの。







ドライブインの裏の岬。今回はドライブインには入らなかった。

    小樽の総合博物館運河館にて。洞窟の他にもこの辺りは環状列石とか遺跡が多い。


洞窟の中は撮影不可なので、スタンプとレプリカのマグネット。
翼の生えた人とか、踊る人とか、ヒトってこうあるべきだよなあ・・・みたいな
いきいきした像が洞窟内部に描かれていて、ひたすら感動。




2018年4月13日金曜日

サッポロピリカコタン


閉館した白老ポロトコタンや、閉館騒ぎを乗り切って存続へと落ちついたレトロ
スペース坂会館などに行ってから、未来への文化の残し方について考える。
自分の文化を残し、そして受け継ぐ当人たちはどういう思いを持つのか。
少しずつ話を聞いてみたりする。

サッポロピリカコタン(アイヌ文化交流センター)に行った。
ここの展示室は、アイヌの道具などに触れるのも、撮影も自由。

作られた道具の重さを体感したり、表面仕上げの丁寧な仕事や
使いやすさを想像したり。楽しかった。その美しい道具の一部を紹介したい。





         鮭の皮で出来た靴。固くて、軽くて、丈夫なつくり。





糸巻き




これも罠。


透明で綺麗。



ポンチセ(小さな家)の中に入ったら、刺繍を作る女性がいた。
一日5時間くらい、三人の女性が交代で家を守っているそう。
火の神様の周りで、時間をかけてゆっくり、丁寧につくられる刺繍はブックカバーやポーチに
なるそうで、まるで御守りのような存在感。

冬の間にこうして女性は刺繍をして、札幌雪まつりの時に、札幌駅の地下道で販売するんですって。あとは、小学生たちに歌や踊りを見せたりして過ごしていると。
そういえばさっき、ホールの奥から、歌の練習が聴こえてきた。



奥の窓は神様の通り道


            帆立貝に油を入れて、ランプにする。
            灰を利用して、文様を伝える。



           このポロチセの中で、お話を聞いた。

   煙に燻されてすっかり消毒された私は、その後、隣にある温泉「小金湯」に向かった。





2018年4月8日日曜日

レトロスペース坂会館にいった



レトロスペース坂会館。すごいところだ。

私は滞在先で、骨董市がないかを必ず調べる。運良くその街で開催されている場合は足を運ぶ。今回も、たまたま札幌で年1回開催されている骨董市を発見し、その近くのエリアに何か面白そうな場所がないかを探したところ、この場所が引っかかった。

尾道にはロダンもあるし、ひめじやなど、個人コレクションが面白い私設博物館は全国にある。しかし、レトロスペース坂会館、かなり面白かった。まさに驚異の部屋。
ビスケット会社がやっている。ビスケットを買いに来たお客さんが、ついでに見て楽しんでいってくれたら・・・という思いで設立したそうだ。なので入場無料。

入ってすぐに緊縛リカちゃんとか、セクシーなオブジェも多々あるのに、けして下品にならないインスタレーション。迷路のような空間にぎっしりのコレクション。

カオスなのに整然と。整然としているのにカオス。くらくらしてくる。







戦争関連のものがあるのが、風雲文庫を思いだした。





           ジンギスカン鍋が在るのが北海道ならでは?








ボランティアさん。コレクションは売らないけれど、
ボランティアさんの手作りのものは置いて売ってもいいみたい。
手にしているのはかわいい手袋。


目が詰まっていて温かく、丁寧に編まれたのがわかる。デザインも可愛い。
「毛糸代と、ここに来るバス代になればいいと思って・・・」と作者のボランティアさん。
ほんとにびっくりするお値段でステキな手袋をお二つ頂いた。
大切に使わせていただきます。



いろいろお話ししてくださった。
写真撮影と掲載のお願いにも快く応じてくださって。



  時々コレクションの入れ替えもおこなうそう。きっとまた、行ってしまうんだろうなぁ。
  とてもいいところでした。ありがとうございました。




2018年4月1日日曜日

食べ物が降ってくるよ、ハルランナ

昨日のハルランナで空から降ってきたお餅を朝ご飯にいただいた。
ハルランナはアイヌのお祭り。昨日で白老ポロトコタン、アイヌ民族博物館が一度閉館になり、2020年に文化庁の国立アイヌ民族博物館としてオープンするので、今の形がなくなる最後の日のお祭りだった。

お餅を食べながら、初めてポロトコタンに行った10年前の冬を思い出す。あの日、私の他にお客さんの姿はみえなかった。凍りそうな真冬だもの、道内の他の施設に訪れた時にもそんな場面は多々あった。貸し切り状態の中、私一人のために、舞踊のイヨマンテの定期公演をしてくれた。唄と踊りの迫力に感動し、博物館ではアイヌの精神性に触れ、その経験はプロジェクト「アートとサイエンスのあいだ」の原点にもなった。

最後の日に立ち会えてよかった。
館長のお話に、「白老ポロトコタンがなくなっても私たちの記憶の中に生き続ける」とあったが、実際にあの10年前の記憶は今も鮮やかに残っている。昨日の体験も、今朝食べた柔らかくてふくよかなお餅と一緒に、きっと私の身体に長く残り続ける。

私はまだ、アイヌの人々のことも北海道のこともちゃんと知らない。自身のルーツの一部があるというのに。これからゆっくり、自分の身体で知っていかなければ。

白老ポロトコタン、どうもありがとう。
おつかれさまでした。

































2018年のエイプリルフール

本日は山陽日日新聞、エイプリルフール特別号の日です。
2015年からこの日は、尾道で明治時代から続く「山陽日日新聞」の最終ページをジャックして、記事を書いています。今回は、それぞれの専門家を招いた総力戦で、ウソ、つきました。

歴史の専門家、新聞業界、建築、そして美術。それぞれに、専門知識のある方の言葉は、ウソをついてもリアルでまた美しく、作りがいの(ウソつきがいのある?)作業で今回は特に編集作業も楽しかった。年々反響が多くなることにハードルも高くなるのですが、大きな目標は、50年後、100年後、500年後に、どこかの空き家から思いがけずこのエイプリルフール号を発見した人を、昔の人は変なこと考えてたんだな〜、と、にやりと笑わせること!

私は今北海道にいるので、完成版の紙面はまだ手に取って見てないのですが、尾道の方はぜひ、ご覧になってくださいね。

現物が手に入り次第、ここにアップします。