2023年9月5日火曜日

障壁画プロジェクトのお知らせ

さて、もう9月ですね、早い。
ありがたいご縁がありまして、「障壁画プロジェクト」の審査員の一人として参加させていただきます。
https://setonaikai-ecotourism-association-2.jimdosite.com

上のリンク先にプログラムの詳細がありますが、広島の竹原という歴史的な街並みが残る地域で滞在制作をし、展示発表という流れで若手作家を3名募集しています。締め切りは10/16まで。障壁画といっても日本画に限りません。学生さんも含め、39歳くらいまで。
とても丁寧に作られた、若手の作家さんにとっては恵まれたプログラムだと思います。興味のある方はぜひ素敵なプランを考えて、挑戦してみてください!

今日は別の審査のお仕事があったのですが、他の作家さんのアイデアを読み解くというのは楽しいですね。自分がずっと挑戦する立場だったからこそ(もちろん今もですが)、ひとつひとつをとても真剣に見てしまいます。




2023年8月5日土曜日

げっぷと毒とサテ(8月4日)

朝は市場へ果物を買いに、目当てのフードコートは朝は開いていない。

朝食を食べそびれて彷徨う。アボカドジュースが無性に飲みたくてたまらない。

結局道を渡ったおばあちゃんの食堂まで。ノーシュガーウィズミルクっていったのに、めっちゃ砂糖入り。じゃりじゃり。

午後はカフェで長居して、原稿の入稿を終える。

 

夜、眠れない(朝4時半のアザーンで起こされる)睡眠不足と疲れを癒しに、KAKIKUのリラクゼーションへ行くことに決める。ジョグジャに着いてから、着くまでも、なんだかんだ張り詰めて頑張っていたしね。夜に近い夕方、混雑時のGrab350もする。高い。行ったらマッサージの予約は19時からしか空いていない。受付のお姉さんの英語が聞き取れない。近くのモールのフードコートに行こうと思ったら、情報が古かったらしく、何もなかった。

結局道の反対のサテを食べに。こんな適当な店でも美味しいのだから、本格的な店はさらにうまかろう。近々サテ専門店に食べに行くことを決める。

 

さて。

マッサージの時間がいつの間にか19時半と思い込んでいて、時間を過ぎて慌てて走る。運良く10分遅れでガタイのいいお姉さんが担当してくれた。

英語を話さないけれど、なんとなく好きな感じの人だった。

この担当女性がとてもマッサージが上手なのだが、お姉さん、時々げっぷが出る。げっぷが最後の方で立て続けに激しくなる。ん?時間が遅いから?夕飯食べたばかりなのかな。なんてその時は思っていた。

 

宿に帰ってきて思い出した。

数年前のマレーシアのプロジェクトで、アーティストグループMAIXと一緒に先住民オランアスリの技術を継承しながら小屋を建てるプロジェクトをしたときのこと。メンバーに、オランアスリの娘、ジューがいた。ハードに山や森の中を動くプロジェクトで、洞窟に行く固い岩場に足を引っ掛け、ひ弱な都会っ子の私はすぐに足を挫いた。

足首はすぐにぱんぱんに腫れた。見かねたジューが、マッサージをしてくれた。

それまで普通にしていたジューは、私の挫いた足を優しく撫で、マッサージを始めると途端にゲップをして、止まらなくなった。ソーリー、ソーリー、と言いながらマッサージを続けてくれた。

なんでもシャーマンのような力を持つ人は、痛みや毒を代わりにげっぷにして吐き出したりすることがあるらしい。その後、私の足は無事に回復した。

 

今日のマッサージの女性も、なんとなくジューに似ていたような。

素朴で、なんだか温かくて親しみやすい。

あのげっぷ・・・私はそんなにも毒を溜め込んでいたのか。

終わった後、ひどく眠い。

今夜はよく眠れそうだ。

2023年8月3日木曜日

彼は、生きていた

もう会えないと思っていた。

やり取りしていたメッセンジャーも2021年で届かなくなり、娘さんのアドレスから届いていたメールに返信しても梨の礫。最終手段に追跡をつけた手紙を送っても、日本から2月に送ったものが4月に宛先不明で郵便局保管になっていた。早い話が音信不通だった。

覚悟はしていた。
ジョグジャについて2日目、とにかく行ってみようと思った。
コロナ前の2019、マレーシアのプロジェクトに行く前に立ち寄ったのが最後。
付近の道で親しんだ店の一部はなくなり、並びの家も建て直されたりしていて、
空白の
コロナ禍の期間に変化した部分が目につく。

ああ、Mr.Ricardoの家も空き地になっていたらどうしよう、と考えながら、
若干の重い足取りで道を進む。
家はあった。しかし玄関には見慣れないステッカーが貼ってあり、若者のサンダルとバイクが置いてあった。もう別の人が住んでいるのかもしれない。家の中も暗い。

たまたま隣の家に人がいた。Mr.Ricardoは?と聞くと、いるんじゃない?と、
暗い玄関の戸をバンバン叩く。反応はない。そして裏からも呼びかける。
玄関の戸が開く。懐かしいお手伝いさんが笑顔で迎えてくれる。

・・・彼は、生きていた。

(今日はここまで)


2023年6月17日土曜日

近況報告

 あっという間に6月も後半!今年も半分。まいりました。
昨日は武蔵美の担当ゼミで、みんなで目隠ししてあちこちに行くワークショップ。
いろんな国の留学生もいて楽しかったなあ。
私はモデレーター側だけど、いつか参加して体験したい。

なかなかここのところ近況を書けなかったのは、文字通り忙しない状況だったのと、今年の末に出版予定の本の編者の一人として関わっており、日々文字と格闘しているからなのです。最近は大学の紀要には挑戦させていただいてましたが、学術書に論考を書く立場で参加するのは初めてで、これもとても面白い仕事を体験させてもらっています。

それと今夏はインドネシアでのリサーチなので、インドネシア語(初級)を始めました。
新しい学びというのは、それだけで楽しい。脳みそが喜んでる感じ。
でも見たことのない単語や発音も多く、なかなか手強い。
担当のティニ先生は優しく根気よく指導してくださるので、私は今日も真面目に宿題を片付けます。

そうそう、先の5月には宮古島へのリサーチにも。ハンセン病の施設、宮古南静園で戦争の講話が聞けるということで行ってまいりました。なかなか重いテーマを扱っていますが、退所者の方、スタッフの方の優しさと強さがこれも大きく響きます。今回は、Tちゃんのおかげで思いがけず楽しく美味しい時間も持てた!充実の宮古滞在でした。インドネシア後の9月頃に、3月に行った伊江島と合わせて再度訪問しなければと計画しています。

明日からは久しぶりの尾道。尾道の方々と会食の機会などほんとに楽しみ。
もちろん打ち合わせやインタビューなどの仕事ではあるのですが!
帰りは神戸で下見です。

最近よく聞かれる発表の機会については、諸々同時進行で計画中なので、もうしばらくしたら具体的にお伝えできると思います。

とにかく健康第一、
4月からのホットヨガで体力もついてきた感じなので
気温差や梅雨に負けずに、強く楽しく、ですね。

以上、近況報告でした!


       




2023年4月1日土曜日

キョンキョンを、聴きに行った

 

キョンキョンを、聴きに行った。
と言っても、いつも私が行く落語のキョンキョンではない。本家(?)の方である。

私が初めて多磨全生園と国立ハンセン病資料館を訪れたのは、学部の学生時代のことで、近年は全国を対象としながら細々とリサーチを続けていた。そんな中、今回の国立ハンセン病資料館の企画展に合わせて、小泉今日子さんの朗読があることを知った。かつて、読売新聞の書評の彼女のことばを私は毎週楽しみにしていた(そしたら担当学芸員の木村哲也さんも、今回小泉さんを呼んだきっかけの一つがあの書評だったって。木村さんグッジョブです)。

また、文化庁の海外研修から戻って、仕事もなく、どのようにこれからの未来を生きたらよいか戸惑う私に、当時ハマってたドラマ「最後から二番目の恋」の小泉さん演じる"チアキ"は、理想となる40代女性を提示してくれた。ミーハーというなかれ。彼女が演じなければこのドラマのチアキは成立しなかった。強くてしなやかで、たっぷりしてきれいだったから(ちなみに相手役の中井貴一も素敵だったの)。

そう、私は表現者としての、小泉さんに興味があったのだ。 


さて朗読会。
始まりのトークでは、担当の木村さんと軽い対談があった。ハンセン病のことをこれまで深く知らなかったと話す小泉さん。なんとなく緊張してみえたのは気のせいか。これがあの、スターダストメモリーを歌ってたキョンキョンなのか?

 

話の中で、大学生になってからの木村さんが、今回の展示の核となった詩人の大江満雄氏の本の復刊のために鶴見俊輔と奔走したエピソードが紹介された。そして、戦争やハンセン病の体験者など、直接話を聞いた世代も減る中で、今を生きる私たちはどう歴史を繋ぐのかという話になった。

ほんとそうなんですよ、とうなづく(このテーマは、先月滞在した沖縄の話も合わせて書きたくなるが、長くなるからそれはまたの機会に)。


小泉さんの朗読は、大げさでなく、ひたすら謙虚で誠実にみえた。

大事な話を同じ空間で共有したような。

帰り道は、おうちにたくさんの宿題があるのに、また新しい宿題を抱えてしまった小学生の気分だった。なんでだか。



*展覧会情報はこちら* ハンセン病文学の新生面 『いのちの芽』の詩人たち

5/7まで


https://www.nhdm.jp/events/list/4942/










2023年3月10日金曜日

戦争遺跡の欠片

旅の話をもうひとつ。

旅先では、その土地に戦争遺跡があるかをいつもチェックしている。
今回は出雲まで足を延ばしたが、戦時中に 出雲大社前で松脂を採取していた跡が残っているとの情報を得た。これは、地元の写真家、高嶋敏展さんという方が写真展と本にしている。そして島根県立東部高等技術校のwebデザイン科の江角奈美さんという方が、卒業制作で制作したという以下のウェブサイトがわかりやすかった。

このサイトや実際の写真を見る前に現地に行ったので、松脂の採取跡がわからず観光協会の方に聞いたのだが、観光協会のすぐ目の前にもえぐられた傷を持つ松の木が。今までこの付近には何度も足を運びながら全く気がつかなかった。
当時、子どもや女性も含め、せっせと採取した松脂で、結局は飛行機を飛ばすことは出来なかったらしい。同時に私は先日、尾道のロダンでマスターから見せてもらったVディスクの話を思い出していた。
戦時中から戦後にかけて、米軍のパラシュートから前線や占領地の兵士にパラシュートから届けられていたレコードのことである。
「この時代に日本では竹槍の練習などしていたのだから、勝てるわけがないよね」というようなことをマスターは言っていた。
戦争体験者の言葉はいつも重い。 だから知らない世代の私たちは、あった「こと」の欠片を見つけて拾い上げていく。
この情報をすくい上げてくれた高嶋さんと江角さん、そしていつものロダンのマスターに感謝です。






妖怪たちに呼ばれて

ちょっとしたリサーチとリフレッシュを兼ねて、マイレージで日本海側へ。

免許を取ってから20年以上運転していないから、地方に行った時には公共交通機関を調べて使い倒す。これが時間の使い方と充実度を大きく左右する。
さて、米子空港。
私が行きたい境港方面に行くには電車もバスもなく、1時間ほど空港に足止めになりそう。それは避けたいと空港近隣の地図をみると、ありましたありました。回らないカウンターの、優しい板さん。頼んだのは地魚にぎりで、その場でタイミングを見て出してくれる。聞いたことない近くの魚や貝、白いけど赤貝とか、この幸福感で少なくとも5日間は生きていけるわ私。最近もがんばってるしね私。
市民の足、ローカルバスを乗りこなして次に向かうは境港の水木しげる美術館。たまたまリニューアル休館に入る最後の公開日が今日だった。
これは妖怪に呼ばれているとしか思えない。
かつて猫娘に似てるとよく言われたし。
水木しげると戦争体験の話は知っていたものの、その後の世界各地の冒険が、小さい頃からのエピソードや生と死の体験が、作品のヒューモアと表現に昇華され、熊楠好きに親近感を覚え、虫と話をして精霊の話や仮面コレクションに圧倒され、よいものを知った。鬼太郎だけじゃないんだ。水木作品は、これだけのものに裏付けられているのだ。
水木しげる先生ありがとう。
のんのんばあありがとう。
そして人生はつづく。