2018年12月28日金曜日

今年も生誕の日を迎えて



今年もこの年末に、無事生誕の日を迎えることが出来、ありがたく思います。

今まで以上に各地を飛び回っていたこの年の最後は、亡くなった祖母のおとうとからの
突然の連絡により、札幌へ訪れました。19歳で広島へ出兵ののちの原爆被害。
その後、大夕張の炭鉱の現場監督の立場で目撃したさまざまな話。

私には、母方に二人の祖父がいるが、二人ともかつては炭鉱で別々の仕事に従事していた。
病気で若くして亡くなった一人目の祖父は、外国人の捕虜の人々の暴動が起きても逃げず
常に対等に彼らの話し相手になっていたとのこと。
私の知っている、とてもかっこよくて優しかったもう一人の祖父は、ポパイのように
小柄な体で誰よりも喧嘩が強く、時間を見つけては、仲良しのアイヌの人々のおうちに
飲みに行っていたそう。どちらも私の誇りです。

 今年はご高齢の方から、戦中から戦後にかけての話を伺うことが多くありました。
人間の分だけストーリーがあり、それらは時の流れと共に消えていく。
だから、そのストーリーが消える前に、呼ばれては赴き、出会いに行っている感覚がある。

いくつもの別れもあり、そしてまた、それを上回るかのようなうれしい出会いもあり
いつのまにか5年、10年、それ以上のお付き合いとなって、いくつものプロジェクトに
繋がっていった。
来年もありがたいことに、いくつかの滞在制作や企画、発表の予定が続きます。大きなものは、東南アジアの森で少数民族の人々に、いろいろなスキルや知恵を教えてもらいながら共同制作をすることでしょうか。

みなさまのご多幸をお祈りしながら、私の年末年始は穴ぐら(自室)に、静かにおだやかに
引きこもります。(落語には行きます。)
心身ともに健康な年の瀬と新年をお迎えくださいませ。


*画像は夕張市石炭博物館にて



















2018年12月4日火曜日

大野一雄「日常の糧」@若山美術館


 
学生時代、この人の皮膚の表面を撮った写真を美術館で見た。
その数年後、水戸芸の展示室に入ったら、人だかりの奥に白くて高い、男だか女だかもよくわからない生き物がゆっくりと蠢いていた。何だかよくわからないそれを、当時の私が夢中になって見た記憶を昨日のように覚えている。その後、何度もその人に遭う(みる)ために、劇場へ足を運ぶことになった。

大野さんと親しくなったのは、亡くなってからのことなんですよ、と語っていた若山美術館の館長、武田さんの言葉がしっくり入ってくる。

会場には、大野さんの言葉の断片やアルバムの写真、用務員時代の体験が元になった日常の糧の映像やパイプオルガンの音などが並んでいる。体育教師として女子校に赴任、女の子に何を教えたらいいかとダンスを始めた話、世界的アーティストでありながら退職後も用務員さんとして勤務し、毎年サンタになった大野さん。きっと毎日通う学校が楽しみになるでしょう。受け継がれたぬいぐるみも衣装も、エピソードの欠片の一つ一つがとてもやさしい。

学生時代の私をどこまでも引きつけた大野一雄さんの魅力は、優しさと繊細さが積み重なってできたものだったということが、今になってやっとわかったような、ここでしか見られない展覧会でした。

大野一雄「日常の糧」は128日、今週の土曜日まで。