2020年8月6日木曜日

今日という日に

少なくとも無関係ではなく、また遠い話ではないのだ。

祖母の弟は、夕張の炭鉱の現場監督をしていたが、当時19だったにも関わらず、前倒しで召集され、終戦間際の半年間だけ広島にいた。あの前夜はB29の飛来が激しかったという。
彼のいた中隊は爆心地から少しずれており、また防空壕に入っていたため、黒い雨に直接あたることは無かった。しかし現場での救護、死体収容作業と続き、彼自身にも原爆後遺症が残った。ずっと多くを語らずに来たが、今から数年前、その時見た状況を「この世の生き地獄」として本に残し、昨年の秋に亡くなった。

その叔父さんに北海道まで会いに行ったのは二年前のこと。
戦争体験や炭鉱での話を聞き取りながら、忘れないように私の携帯にも音声を記録していた。今朝、あるプロジェクトの音声記録の整理をしながら、それらの音声データを一つ一つ聞いていると、突然その叔父さんの声が流れ始めた。フォルダのプロジェクト名を間違って付けていたようだ。
しかし今日という日、その声に再会出来たのは偶然とは思えない。
忘れてはいけないと。

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