今年もこの年末に、無事生誕の日を迎えることが出来、ありがたく思います。
今まで以上に各地を飛び回っていたこの年の最後は、亡くなった祖母のおとうとからの
突然の連絡により、札幌へ訪れました。19歳で広島へ出兵ののちの原爆被害。
その後、大夕張の炭鉱の現場監督の立場で目撃したさまざまな話。
私には、母方に二人の祖父がいるが、二人ともかつては炭鉱で別々の仕事に従事していた。
病気で若くして亡くなった一人目の祖父は、外国人の捕虜の人々の暴動が起きても逃げず
常に対等に彼らの話し相手になっていたとのこと。
私の知っている、とてもかっこよくて優しかったもう一人の祖父は、ポパイのように
小柄な体で誰よりも喧嘩が強く、時間を見つけては、仲良しのアイヌの人々のおうちに
飲みに行っていたそう。どちらも私の誇りです。
今年はご高齢の方から、戦中から戦後にかけての話を伺うことが多くありました。
人間の分だけストーリーがあり、それらは時の流れと共に消えていく。
だから、そのストーリーが消える前に、呼ばれては赴き、出会いに行っている感覚がある。
いくつもの別れもあり、そしてまた、それを上回るかのようなうれしい出会いもあり
いつのまにか5年、10年、それ以上のお付き合いとなって、いくつものプロジェクトに
*画像は夕張市石炭博物館にて
繋がっていった。
来年もありがたいことに、いくつかの滞在制作や企画、発表の予定が続きます。大きなものは、東南アジアの森で少数民族の人々に、いろいろなスキルや知恵を教えてもらいながら共同制作をすることでしょうか。
来年もありがたいことに、いくつかの滞在制作や企画、発表の予定が続きます。大きなものは、東南アジアの森で少数民族の人々に、いろいろなスキルや知恵を教えてもらいながら共同制作をすることでしょうか。
みなさまのご多幸をお祈りしながら、私の年末年始は穴ぐら(自室)に、静かにおだやかに
引きこもります。(落語には行きます。)
心身ともに健康な年の瀬と新年をお迎えくださいませ。
*画像は夕張市石炭博物館にて