2015年12月28日月曜日

今年を振り返って


 今年後半は、旧平櫛田中邸のDenchu.Labや、尾道の高橋家、光明寺会館ギャラリーでの発表、山陽日日新聞の連載などの制作と発表続きで、国内移動(一回は国外)ばかりしていました。尾道の高橋家の公開で、訪れた方々に昭和の時代の貴重なお話をうかがったり、山陽日日新聞の連載は、毎回パワーアップさせていただいたり、アートとサイエンスのあいだでは、いろいろな意味で遠くまで旅をしたり。プライベートでは、赤い糸ワークショップ「青い鳥デザイン協会」の立ち上げや、インドネシアでたくさんのアーティストに会ったりして、先週まではワークショップで雪の旭川へ、小学生たちにパワーをもらいに(吸い取られに?)いってました。

気づくとたくさんの出会いに恵まれ、これも尾道に通いだしてから毎年寄り道して帰る出雲大社のおかげでしょうか?
いつものように無駄な動きも多かったですが、制作にも集中でき、新しい経験も出来た、濃厚で幸せな30代最後の年にひたすら感謝です。


来年も地味に盛り上がって行きますので、どうぞよろしくお願いします。

















2015年11月27日金曜日

「高橋家にまつわる物語」


今日から尾道入りしてます。
いよいよ明日から、長江の高橋家の公開です。






2015年11月20日金曜日

Open House - Takahashi Family, Onomichi ( Press-release by AIR Onomichi)

Open House (Takahashi Family)   
Naho Yokoya

Artist Naho Yokoya started her project, "A Story about Takahashi Family" in 2013 and since then has conducted intense research into the historical background and stories connected to Takahashi House. She has attempted to rediscover and reconnect the fragmented memories and narratives of the family history through uncovering artifacts of everyday life left at Takahashi House. Her emotionally engaging examination of these artifacts including letters and notebooks is an ongoing work. In "Open Takahashi House", Yokoya will exhibit a selection artifacts and invites you to set foot in the house and narrative experiences of the family. This event is concurrent with a related exhibition at Komyojikaikan. We recommend visiting Komyoji-kaikan prior to "Open Takahashi House". (The exhibition at Komyoji-kaikan opens Thursday – Monday, between 14th Nov to 6th Dec)


Takahashi House
Genyo Takahashi (a famous TV screenplay writer now living in Saitama) grew up and lived there until 19?? when he turned twenty years old. Genyo’s father was the owner of the house and the family lived there for 40 years. It had been empty for 30 years and was badly ruined when Yokoya first visited there.



Naho Yokoya (b. 1975, Tokyo) completed her Ph.D. in Fine Art at Tokyo National Art University. Subsequently she stayed in London and Pompeii between 2009-2011. Her activities included research on the ruins of Pompeii and learning bookbinding. Between 2012-13, she lived and worked in Naples for her ongoing, collaborative project "Between Art and Science" She also visited Burkina Faso and Italy in 2014 for the same project. She currently lives and works in Tokyo.

Free admission


[Time & Date]
SATURDAY 28 NOVEMBER 11:00-16:00 

SUNDAY 29 NOVEMBER 11:00-16:00 
SATURDAY 5 DECEMBER 11:00-16:00 
SUNDAY 6 DECEMBER 11:00-16:00

Organized by: Naho Yokoya, AIR Onomichi Committee
Grants from: the Agency for Cultural AffairsFukutake Foundation, The Asahi Shimbun Foundation, Asahi Art Festival 2015

For further information, please contact Komyoji-kaikan on +81 (0)50-1537-5353 or Email: aironomichi@ybb.ne.jp (Natsuko Kamei)
Komyoji-kaikan: 2-1 Higashitsuchido-cho, Onomichi-shi, Hiroshima, Japan. (http://aironomichi.blogspot.jp/) 

2015年11月16日月曜日

高橋家公開

なぜかインドネシア、ジャカルタからのお知らせです。
もうすぐ高橋家を公開します。公開期間には尾道に戻ります。
以下AIR_Onomichiプレスリリースより。
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アーティスト・横谷奈歩は2013年より「高橋家にまつわる物語」として高橋家におけるリサーチをメインに創作活動を展開してきました。家の持つ記憶を読み解きながら、現在にも脈々と引き継がれている家族の物語を新たな視点で紡ぎだしていきます。創作活動はこれからも展開していきますが、これまでのリサーチの成果と高橋家の空間に触れていただく機会となります。


光明寺會舘にも関連展示がありますので、できれば光明寺會館の展示を先にご覧いただくことをお勧めいたします。(展示は11月14日〜12月6日公開、火・水休み)
*高橋家とは、尾道・長江エリアにある高橋家の邸宅。昭和25年頃より高橋武氏とご家族が約40年間居住した。武氏次男にあたる玄洋氏は、20歳頃まで高橋家に居住した。

【観覧料】  無料
【日 時】  28[] 11:0016:00 
       29[]  11:0016:00
       5[]  11:0016:00
       6[]  11:0016:00
【主 催】  横谷奈歩 AIR Onomichi実行委員会
【助 成】  平成27年度文化芸術による地域活性化・国際発信推進事業、
       公益財団法人 福武財団 AAF 朝日新聞文化財団


お問い合わせ先
光明寺會舘  広島県尾道市東土堂町2-1  
Tel / Fax 050-1537-5353
Mail aironomichi@ybb.ne.jp(亀井)
AIRブログ http://aironomichi.blogspot.jp/
AIR Onomichi 2007年より隔年で開催しているアーティスト・イン・レジデンス。国内外より美術家を招聘し、尾道の斜面地にある空き家・廃墟などを舞台に活動を展開している。


2015年11月2日月曜日

本日定休日

ストレスで体調崩してます。

疲労にも、環境の変化にも比較的強い私ですが、ストレスには実は弱いんです。
なので本日は基本お休み。

調子が悪い日って、体温計がなくても自分ではっきりわかるもんですねえ。。
作っておいたすだちシロップが、身体中に心地よく響いてます。


2015年10月27日火曜日

蟷螂

久しぶりに、今年の制作のために尾道の高橋家に入った十日前。
1階の広縁に、床の色とほぼ同化した、枯草色のカマキリがいた。
姿勢は正しく、しかし微動だにしないので、息を吹きかけてみるが動かない。
もう死んでいるのだろうと、その死体をどうしようか持て余していたら、しばらくしてゆっくりと動き始めた。
私は、どうぞごゆっくりと声をかけて、二階へ上がった。

その後もしばらく、広縁のレースのカーテンに、へばりついていた。
掃除していたら、和室の畳に湿り気のある規則正しい白い物体があった。
小野さんに見てもらったら、カマキリの卵だと。
つまり彼女が死体のように動かなかったのは、出産直後のからだを癒していたかららしい。

その後何日かして、枯草色の彼女のからだはレースのカーテンの下に落ちていた。
昨日、その身体を竹林のところに埋めた。
私は卵を踏みつけないように、大切に保護している。

2015年10月16日金曜日

尾道の秋

昨日、関西を経由して、今年も尾道入りしました。

これから1ヶ月、11月半ばまでは尾道での生活になります。

ちょうど一ヶ月後に一旦戻って10日ほどアジアに行き、また戻って来る予定(予定は予定で未定ですが)

今年は尾道の公開年なので、いくつも山を登ってきます。


それと、昨夜から使い始めた腹巻きは、予想以上によいです。


2015年10月11日日曜日

東京での展示も終わって、慌ただしい日々を慌ただしいと感じる余裕もなく、
来週からしばらく西の方へ行く。



来年は、いつも以上にいくつもの、たっぷりした旅をすることになりそうだ。


とりあえずお腹を冷やさないように、通販で腹巻きを買った。













2015年9月24日木曜日

Denchu.labリポート

みなさま、ごきげんようでございます。
平櫛田中邸でのプロジェクト<Denchu.lab>も、会期中盤にさしかかりました。

今回は、田中邸に残されていた家具や道具、作品なども一緒に、今までのブルキナファソやイタリアでのプロジェクトの展示物やワークショップ作品と、仲良く展示しています。
この建物はさすが彫刻家の元アトリエ。窓が大きく、天井が高いので、光をたくさん取り込む気持ちのよいおうちです。朝、昼、夜と刻々と景色が変わるため、何度かリピートでいらっしゃる方もいます。

会期は27までであと3日です。まだの方はお急ぎを!








2015年9月17日木曜日

アートとサイエンスのあいだ 東京、旧平櫛田中邸にて

お知らせです。
9月20日から27日まで、「アートとサイエンスのあいだ 東京、旧平櫛田中邸にて/ Between art and science at Old Hirakushi Denchu Residence, Tokyo」を発表します。

アートとサイエンスのあいだ実行委員会は、2011年から海外を中心に発表を続けてきました。日本での大きな展示は今回が初となります。2012年と2014年にプロジェクトをおこなったナポリ科学博物館は元科学工場を再利用した建物で、1回目と2回目の間に火事で建物が全焼する悲しい事件がありました。2014年のブルキナファソでは、社会学の先生が率いるクレニ村の実験農場の施設でおこないました。「アートとサイエンスのあいだ」は、既存のギャラリーや美術館等の施設ではなく、異分野の専門家たちと共に、常に場との関係も含めたプロジェクト作りをおこなってきました。

この度日本展を開催することになって、旧平櫛田中邸に初めて訪れた時から、企画が通り、滞在制作のためにこの建物に通うようになった今も、丁寧に保存されている旧平櫛田中邸の場所の魅力は語り尽くせません。残されたモノ、空間と対話しながら、ヴンダーカンマーを制作しました。

会期中にも、会場の様子をリポートいたします。
秋のよい季節にぜひ、上野桜木へお出かけ下さい。
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2015年9月20日(日)― 27日(日)
旧平櫛田中邸(台東区上野桜木2-20-3)
開館時間 11:00 - 19:00 (20日はレセプションのため17時まで)
入場 500円 (建物保全活用協力金として)






2015年9月15日火曜日

展覧会の5日前。


なんでこんなに全身傷だらけなんだろう。
傷やアザがいっぱい。

高いはしご登ったから?針金と格闘したから?


展覧会準備ってやつは!









2015年8月14日金曜日

山陽日日新聞の連載第4回

お盆です。世間はおやすみモードですが、私は9月の発表場所の上野桜木で制作したり、絵を描く仕事もありで、毎日働いています。とほほ。

そんな折ですが、8月13日に尾道の山陽日日新聞紙上で「高橋家にまつわる物語」の第4回が発行されました。
今回は、高橋武さんが朝鮮総督府の視学官として終戦を迎えた時のこと、玉音放送の前日からの様子が詳細に書かれた原稿を掲載しています。二階の本棚でその原稿を最初に発見したときには、大げさでなく「息が止まる」かと思いました。ご子息の玄洋先生に掲載許可をいただいてからは、山陽日日新聞の秋田さん、市立美術館の梅林さん、AIR_Onomichiの小野さんと一気に制作しました。ある時代の一つの貴重な証言です。





2015年8月2日日曜日

山陽日日新聞の連載第三回目

あまりの暑さにぼんやりしていましたが、山椒の実を茹でるだけでなく、梅シロップを作るだけでなく(とてもおいしい)、制作も進めていました。
7月前半は尾道での調査、スケジュールのみならず内容もなかなかハードで夏風邪にかかり、声の調子がやっと戻って来たところです。が、そんなハスキーボイスを会う人ごとに褒められ、複雑な気持ちになりました。

さて、そんな中でできた山陽日日新聞連載の「高橋家にまつわる物語」第三回、今回は上下に分けて、二日連続の記事となりました。
昭和40年から平成25年までの、約50年の時間の旅です。






2015年7月23日木曜日

やるきのなさ

ここのところのやる気のなさは、夏風邪でした。

じわじわ喉の痛みから、今朝おきたら声がりりィみたいになってた。


ちゃんとごはん食べるために、これから耳鼻科にいってきます。



2015年7月22日水曜日

こまった

困った。



先週の日曜、ある大事なプレゼンのため、土曜に尾道からばたばたと戻った後、
まったくスイッチが入らない。

to do listはできているのに。やることもやりたいことも山のようにあるのに。


暑さ?

そんなものは室内にいれば調整出来るし、そもそも冷房は得意ではない。

やはり尾道での今回の調査が、ディープ過ぎたためかしら・・・。

明日の、大切な友人とのディナーから始動か。


2015年5月29日金曜日

季節もの

山椒の実を小枝から取り外す。

塩を入れて下茹で。

うつくしい色と形の集合体。

なにかの卵みたい。






2015年4月16日木曜日

連載第二回目 - 山陽日日新聞

山陽日日新聞での連載の第二回目となるエイプリルフール特別号が出た。

今回は、最終ページをジャック、昭和21年頃のページを想定して、当時の山日新聞の記事や広告を組み合わせて誌面を作った。この戦争直後の時代は、「高橋家にまつわる物語」の高橋家が尾道に居を構えた頃の時代である。
私は高橋家の武さんの奥様で、尾道に最後まで住まわれていた、今は天国の清子さんへ、お手紙を書いています。他にも星劇団の記事とか、いろいろ。

現在の山陽日日新聞編集長の秋田さん、Air_Onomichiの小野さんとのコラボの結晶です。






2015年4月9日木曜日

フランス語、はじめました◎

今日から待ちに待ったフランス語入門の授業を受けています。
すごくたのしい〜

昨年のブルキナファソではコミュニケーションがとれなくて、
いろいろと周りにご迷惑かけたり。
がんばって、少しでも自分でできるようにしなくちゃと。

ぼんぬいー、とか、びやんどるみん、とか、どろしょー、とか
向こうの生活で自然と覚えた言葉も、そのうち習うようになるのかな。

でも基本、私は語学が苦手なので、みなさま
次に会った時にはまちがってもフランス語で話しかけないでください。


2015年4月2日木曜日

制作中

制作中です

作品、ではなくて、ポトフ。

こんなにシンプルなのに、朝つくっておけば
お鍋と中の役者たちが勝手に美味しくしてくれるから

不思議、らくちん、ありがたい◎

2015年3月22日日曜日

春分

一昨日は新月で皆既日食、昨日は春分で、節目とされる日が続いた日。

昨日の明け方、急な吐き気でトイレに駆け込み、それからしばらくは上からも下からもの大騒ぎで、身体の中の出せるものがなくなったら、次に発熱した。デトックスか。
微熱はちょっと、気持ちがいい。

ブルキナのウェドラオゴ先生から、丁寧で心のこもったレターをいただいた。

さて、今年も始まるぞ。

2015年3月13日金曜日

Work shop “Between art and science” in Minakami, Gunma

お知らせです。
3月末の土曜日、群馬のみなかみ町にある天一美術館にて「アートとサイエンスのあいだ・みなかみ編」をおこなうことになりました。
今回は、アートとサイエンスのあいだのアーティストチームでいってまいります!
内容は講演とワークショップです。参加ご希望の方はお問い合わせください。温泉がてら、天一美術館のコレクションを見て、ワークショップも楽しめちゃう、そんな週末はいかがでしょう?
ブルキナファソとイタリアでおこなった内容と同じワークショップ、ここではどんな作品が出て来るのか楽しみです。
ちょうど、昨年秋のナポリでのプロジェクト報告もブログにアップされました。
英訳部分も今月中にはアップします。



今日は


これからもっと、たくさんいいことがあると
信じて疑わない13日の金曜日。

2015年3月12日木曜日

遅ればせながら、昨年のプロジェクト報告

遅くなりましたが、昨年ブルキナファソより巡回した、ナポリでのプロジェクトの報告がリンク先にアップされました。

http://betweenartandscience.wix.com/baas#!blog1/cgox

英訳部分は現在制作中です。
春以降にはまた次々と、「アートとサイエンスのあいだ」も再始動です。

おいしいパンケーキ、食べたいなあ。

2015年3月6日金曜日

最終日、朝8時。

奈良の宿舎を出て、ルンルンの気分で自転車で坂を降りる。 お土産に、ぷるんぷるんのわらび餅を買うのだ。 今朝できたての、ぷるんぷるんが手に入った。 その後、私は東大寺の入り口の駐輪場に自転車を止め、昼間の二月堂に向かった。 東大寺の入口ではたくさんの外国人たちが鹿と遊んでいた。 運慶快慶やっぱすごいなあとを山門をくぐったその時、はっと、自転車のかごの中に置き去りにしてしまったわらび餅を思い出した。 私は走った。 泣きそうになりながら、全力で走った。 自転車から離れて一分、いや長くても二分だろう。 どうか待ってて、私のぷるんぷるん。 しかし完全に自転車に近づく手前で、私は瞬時にその周辺の異変を察知した。 それは悪夢のような光景だった。 自転車の周囲には、今まで可愛らしく餌をねだっていた鹿たちが何かに群がり、何かをむさぼる姿。打って変わったような本能むきだしの行動に、嬉々としてカメラを向ける外国人観光客たちの姿が。
その何かが私のぷるんぷるんだと認めるのに、時間はかからなかった。
ひどいよ鹿 ほんとひどいよ鹿 私に落ち度はあったさ でも2分後だよ2分後、たったの。 それをきっかけに、私の鹿評価はぐんと下がった。 その後すれ違う鹿々に、私は心の中で毒づいていた。 しかしこう考えたらどうだろうか 神様の遣いである鹿たちに、最高に美味しい和菓子を奉納したと。 外国人観光客には日本旅行の印象に残る、最高のネタを提供したと。 ・・・いやそんなに素直になれるわけがない。
食べ物の恨みは恐いのだ。私のぷるんぷるんを返せ。 そして糞害に困っている東大寺の方、事故とはいえ私の失敗で餌を与えることになってしまってごめんなさい。