2018年12月28日金曜日

今年も生誕の日を迎えて



今年もこの年末に、無事生誕の日を迎えることが出来、ありがたく思います。

今まで以上に各地を飛び回っていたこの年の最後は、亡くなった祖母のおとうとからの
突然の連絡により、札幌へ訪れました。19歳で広島へ出兵ののちの原爆被害。
その後、大夕張の炭鉱の現場監督の立場で目撃したさまざまな話。

私には、母方に二人の祖父がいるが、二人ともかつては炭鉱で別々の仕事に従事していた。
病気で若くして亡くなった一人目の祖父は、外国人の捕虜の人々の暴動が起きても逃げず
常に対等に彼らの話し相手になっていたとのこと。
私の知っている、とてもかっこよくて優しかったもう一人の祖父は、ポパイのように
小柄な体で誰よりも喧嘩が強く、時間を見つけては、仲良しのアイヌの人々のおうちに
飲みに行っていたそう。どちらも私の誇りです。

 今年はご高齢の方から、戦中から戦後にかけての話を伺うことが多くありました。
人間の分だけストーリーがあり、それらは時の流れと共に消えていく。
だから、そのストーリーが消える前に、呼ばれては赴き、出会いに行っている感覚がある。

いくつもの別れもあり、そしてまた、それを上回るかのようなうれしい出会いもあり
いつのまにか5年、10年、それ以上のお付き合いとなって、いくつものプロジェクトに
繋がっていった。
来年もありがたいことに、いくつかの滞在制作や企画、発表の予定が続きます。大きなものは、東南アジアの森で少数民族の人々に、いろいろなスキルや知恵を教えてもらいながら共同制作をすることでしょうか。

みなさまのご多幸をお祈りしながら、私の年末年始は穴ぐら(自室)に、静かにおだやかに
引きこもります。(落語には行きます。)
心身ともに健康な年の瀬と新年をお迎えくださいませ。


*画像は夕張市石炭博物館にて



















2018年12月4日火曜日

大野一雄「日常の糧」@若山美術館


 
学生時代、この人の皮膚の表面を撮った写真を美術館で見た。
その数年後、水戸芸の展示室に入ったら、人だかりの奥に白くて高い、男だか女だかもよくわからない生き物がゆっくりと蠢いていた。何だかよくわからないそれを、当時の私が夢中になって見た記憶を昨日のように覚えている。その後、何度もその人に遭う(みる)ために、劇場へ足を運ぶことになった。

大野さんと親しくなったのは、亡くなってからのことなんですよ、と語っていた若山美術館の館長、武田さんの言葉がしっくり入ってくる。

会場には、大野さんの言葉の断片やアルバムの写真、用務員時代の体験が元になった日常の糧の映像やパイプオルガンの音などが並んでいる。体育教師として女子校に赴任、女の子に何を教えたらいいかとダンスを始めた話、世界的アーティストでありながら退職後も用務員さんとして勤務し、毎年サンタになった大野さん。きっと毎日通う学校が楽しみになるでしょう。受け継がれたぬいぐるみも衣装も、エピソードの欠片の一つ一つがとてもやさしい。

学生時代の私をどこまでも引きつけた大野一雄さんの魅力は、優しさと繊細さが積み重なってできたものだったということが、今になってやっとわかったような、ここでしか見られない展覧会でした。

大野一雄「日常の糧」は128日、今週の土曜日まで。



2018年11月21日水曜日

高橋家にまつわる物語 2018 秋


2013年から尾道でメインで関わって来たプロジェクト、「高橋家にまつわる物語」の舞台となる高橋家。30年以上空き家だったこの家が持つ空気感、美しさに魅せられ、毎年、和作忌の11月4日に合わせて公開して来ました。
しかし、豪雨や台風などの度重なる自然災害による被害で損壊した部分も多く、私が東京にいる間もAir_Onomichiメンバーを始め、尾道大の学生さんがチェックや修復をしてくれていましたが、安全を考え、今年の公開を見送りました。

正面の大きな窓に映る雲やその時々の景色は、天気だけではない尾道の風景を映し出し、家の中は戦後の家族の美しい時間が今も流れているようでした。本棚や戸棚には、物語が沢山詰まっていました。
少しずつ応急処置を施しながら、来年以降もこの高橋家の持つ時間と空気を大切に、どのように残していくか、空間と対話しながら知恵を絞っています。

高橋家にまつわる物語は、これからも続いていきます。
今までのように静かに、淡々と。





























               






2018年11月15日木曜日

星劇団再演プロジェクトの第3回目

星劇団再演プロジェクトの第3回目のお知らせです。

1回目はアーティストの外部の視点から、2回目は尾道の民俗学の専門家の立場からのお話と徐々に深部へ降り下げてきましたが、3回目は吉和出身で元尾道市人権文化センター職員の砂田さんと、吉和地区で現在、民生委員と町内会長をしている山根さんのお二人のお話を伺います。
星劇団のプロジェクトを始めて既に5年が経過しましたが、このお二人にお会いしてからは、吉和地区の内側の方からお話を聞く機会を多くいただきました。今回も、とても濃いお話が伺える会になるはずです。
消えていく小さな声の歴史を、現場の方々、専門家やアートの力を借りて、とにかくしつこくしつこく追いかける。最近いくつかの寂しい話がありましたが、自分に出来ることを考えて、丁寧に続けるのみとつくづく思います。

星劇団のヤエ子さんからも「ほら、ナホちゃん行くわよ!」って気合い入れられてる気がします。

はーい、ヤエ子さん、見守っててね。

11月20日(火)光明寺会館にて19:00より



2018年10月20日土曜日

星劇団再演プロジェクト、第二回目

毎日毎日、秋の日は過ぎるのがびっくりするくらい早いです。
先週、北海道にリサーチに行ってたら、星劇団再演プロジェクトの第2回目があっという間に来てしまいました。たびたび落語行ってる場合じゃないわよねぇ・・・昨日の一之輔さん@国立演芸場、ほんとによかった。
さて、再び22日より尾道入りです。

先月の第一回目に続き、2013年から静かに進めている「星劇団再演プロジェクト」の第2回目が、来週24日に行われます。今回は、尾道市史編纂室の林良司さん、肥田伊織さんのお二人が、民俗学の視点で尾道の吉和地区について掘り下げていきます。私も何度か一緒にフィールドワークをしたのですが、アートとはある部分で重なったり、また異なったりする視点が理解を深めてくれます。
また今回のお二人は歴史の専門家でありながら、ある時はその知識を星劇団プロジェクトの一員として、また「山陽日日新聞エイプリルフール特別号」などでもさらりと披露してくれる、最強びっくりメンバーです。
10月24日(水)19時から、光明寺会館にて、お待ちしております。

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尾道市の漁師町、吉和地区で終戦直後の物資が不足する時代、十代から二十歳の女性たちが中心となり活動した星劇団は大人気でした。当時を知る方々の証言を元に、いろんなことを考え、話す場に出来ればと思います。興味を持たれた方、是非いらしてください。






2018年9月23日日曜日

星劇団再演プロジェクト/レクチャー第一回目


久しぶりの書き込みです。
尾道は大雨になったり、からりと晴れたり、私も大忙しですが、天気まで大忙し。

さて、2013年から静かに進めている「星劇団再演プロジェクト」、今年は何度かレクチャーや座談会、WSを重ね、再演に繋げていく第一回目のお知らせです。
尾道市の漁師町、吉和地区で終戦直後の物資が不足する時代、十代から二十歳の女性たちが中心となり活動した星劇団は、当時大人気でした。当時を知る方々の証言を元に、いろんなことを考え、話す場に出来ればと思います。興味を持たれた方、是非いらしてください。
詳細は以下にあります。

(以下、光明寺会館より)

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AIR Onomichi招聘アーティスト横谷奈歩さんのトークです。これまでのレジデンスでの星劇団に関するリサーチの成果発表とこれからの展開について紹介します。      
・・・・・・・・アーティストトーク AIR Onomichi ARTIST TALK・・・・・・・・・・
星劇団の再演プロジェクト
横谷 奈歩 (美術作家)
9/27木19:00~21:30
場所:光明寺會舘 Komyoji-kaikan
参加費無料、ワンドリンクオーダーお願いします。
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戦後、尾道商業高校は進駐軍の駐屯地となっており、校庭には空缶があちこちに散らばっていた。捨てられた缶の星の部分を切り取り、5つのうちの一つの角を折り曲げて、暗幕に引っ掛ける。
公演中に幕が揺れると、それはあたかも舞台上でたくさんの星がきらめく風景のようだった。
「星劇団」 ― 昭和21年、終戦直後のこと。自ら劇団を立ち上げた彼女たちは、第二次世界大戦と戦後をたくましく生きた女性であり、同時にどこにでもいる十代から二十歳前後の多感な少女であり、そして表現者だった。
終戦後から十年間、尾道市吉和地区にて活動していた星劇団。物資の不足した時代になぜ彼女たちは劇団を立ち上げたのか。「星劇団再演プロジェクト」第一回目は、2013年に星劇団団員の川原ヤエ子さんと美術作家・横谷奈歩との出会いから、アートプロジェクトとして星劇団の再演に動き出すまでの経緯とこれからの活動について、お話しします。
ゲスト略歴
横谷奈歩 
美術作家。1975年東京生まれ。2008年 東京芸術大学大学院 美術研究科 後期博士課程を修了後、文化庁新進芸術家海外研修制度にてヨーロッパに滞在。古代ローマ遺跡を初め、街や自然、博物館等のリサーチと制作活動をおこなう。以後、日本国内から世界各地へ足を運び、調査と取材を重ね、土地に隠された歴史やひそやかな事柄を残していくことを最も大切なテーマとしている。
光明寺會舘 
〒722-0033 広島県尾道市東土堂町2-1  
お問い合わせ Mail aironomichi@gmail.com.(亀井)
Tel / Fax 0848-51-5717








2018年8月21日火曜日

杉沢で過ごす夏、芸術と考古学2018

昨年に引き続き「芸術と考古学」のプロジェクトのため、滋賀県米原市、杉沢で過ごす夏。立命館大学の矢野先生と学生さんたちと一緒に、発掘現場にいます。日に日に発掘されるトレンチは深くなり、湧水が豊富な杉沢は、トレンチにも日々深い水溜まりが。無心になって土を掘らせてもらったり、実測させてもらったり、面白い道具もたくさん。
そして今日は杉沢の方々へのインタビュー映像撮影日、1時間1本勝負×4。米原市の教育長をされていた I さん、SLの機関士だった Fさん、骨董に精通し、たくさんの遺物コレクションを持つ Tさん、伊吹山文化資料館の Tさん、それぞれにとっても面白いお話を伺うことが出来ました。このインタビューの全容は、来年3月に予定されている芸術と考古学の展示にて、公開されます!










2018年8月1日水曜日

[複数形の世界のはじまりに]について


7月1日に東京都美術館で終了した企画[複数形の世界のはじまりに」につきまして、
2件のレビューが記載されました。
1つは月刊ギャラリー8月号の小倉正史さんのページにて、もう1つはアートスケープ8月1日号の村田真さんのレビュー欄にて、それぞれの読み取りを新鮮に感じながら、面白く拝読させていただきました!

[複数形の世界のはじまりに]は、その名の通り、はじまりを終え、次なる展開へと向けて動き出しています。あの集落は、それほど遠くないうちに、再びきっとこの世界のどこかに現れることでしょう・・・。


[複数形の世界のはじまりに] 
http://pluralworld.work

[アートスケープ8月1日号レビューより]
http://artscape.jp/report/review/10148101_1735.html



[月刊ギャラリー8月号より]

2018年7月29日日曜日

7月も終わろうとしていますが、エイプリルフール号


猛暑の折、皆様いかがお過ごしでしょうか?

こちらは豪雨の影響も気になり、先週、尾道で2013年から関わっているプロジェクト先の高橋家の様子を見に行って来ました。普段の私は東京が拠点なので、嵐や何か気になることがあると定期的にAIR_Onomichiのみなさんが点検に行ってくれています。今年に入り、たびたびあった暴風雨等で損壊があって、所沢に住む高橋玄洋先生にもご報告しながら、今後どう高橋家を残していくかを考えているところです。

で、取り急ぎの課題として今回は、キイロスズメバチの巣の駆除!
宇宙服(みたいな防護服)を着た屈強な業者さんが二人がかりで屋根裏と外から攻撃!
キイロスズメバチさんたちにとっては災難ですが、君たちがいる限りはこちらも安心して高橋家での作業が出来ないのです。ごめんね。

そんな合間を縫って、不定期連載させてもらっている「高橋家にまつわる物語」のエイプリルフール号を山陽日日新聞社に取りに行く。
毎年4月にはエイプリルフール特別号を作り、山陽日日新聞(尾道で明治から続く新聞)の最終ページをジャックして紙面を作る。現在13回続く連載のうち、エイプリルフール特別号は今年で4回目となった。(2015年には昭和21年の紙面となり、次の年は昭和35年、昨年は2067年の設定で作った)。

今年のエイプリルフール特別号は、普段の山陽日日新聞の記者たちが、花粉症と年度末の疲れから仕事をサボり、周辺のモノたちに取材と執筆を任せたという設定。いろんな角度からの尾道を語っています。山陽日日新聞社の社長の秋田完さん、尾道市史編纂室の林良司さん、肥田伊織さん、AIR_Onomichiから小野環さんと私の総力戦で嘘、つきました!

今回の滞在で手にしたエイプリルフール号を手に、本気でウソ考えた甲斐があったわ、と感動しきり。瓦やエイ、お尻の下に敷かれる新聞紙の気持ちになって、想像の足しになったり、ちょっとはヒトも生きやすくなったりしたらいいな、と。














2018年7月7日土曜日

7/1にて「複数形の世界のはじまりに」が終了しました。

先週末(7/1)に、都美術館での展示「複数形の世界のはじまりに」が終了いたしました。
最終週はインドネシア舞踊家、佐久間新さんによるワークショップや、OJUNさんと白井美穂さんによるトーク「魔王と魔女のお悩み相談」等、イベントが続きましたが、最終日7月1日には、フルクサスの塩見允枝子先生が私たちの集落のために、オリジナルのスコアを書いてくださった「エンドレスボックス」の上演がありました。
上演には、長年フルクサスの作品に関わっていらした詩人のヤリタミサコさんが加わってくださる贅沢な出会いがありました。公演の記録はゆくゆく公開していきます。

またいずれ、世界のどこかに集落は現れます。
その日までごきげんよう。
お越しいただきましたみなさま、気にかけてくださったみなさま、どうもありがとうございました。
(画像はお悩み相談とエンドレスボックスの謎の準備風景と上演後の挨拶)









2018年6月26日火曜日

複数形の世界のはじまりに・7月1日まで

私たちは、開催中の「複数形の世界のはじまりに」の展覧会場を集落と呼んでいます。
集落では日々さまざまな出来事がありますが、先週末には順造さんこと川田順造先生が来訪し、私たち集落の住人に長老の知恵を授け、現代を生きる方法を考えてくださいました。
冒頭から「自分の今までの経験を伝えたい」と宣言する本物の学者の姿に、感動するばかり、終了後も質問しっぱなしの時間が流れました。

ぐずぐずと雨続きの先週から、晴れやかな今朝、最終週となる今週の集落には、何が起きるのでしょうか。7月1日まで。





2018年6月13日水曜日

複数形の世界のはじまりに がはじまりました。



昨年から構想を練って準備して来たこの企画、やっとかたちになりました。人生初のぎっくり腰も、謎の背中の傷も、90分睡眠も、今はいい思い出(に、まだなってない)。

初日のアーティストトークも終え、第一回目の集落会議(ゲストの長老は小倉正史さん)も終え、そろそろ落ちついて来ると信じたい。

とにかくぜひ、いろんな方にこの集落に遊びに来ていただきたいです。
集落の住人が、お待ちしていますよ。



https://twitter.com/tobikan_jp/status/1006702456779169792

http://pruralworld.work

https://www.tobikan.jp/exhibition/2018_groupshow.html




2018年5月27日日曜日

日本考古学協会第84回総会にて

表題:日本考古学協会第84回総会って、84回ってすごい、さすが考古学。歴史・・・

今日5月27日、明治大学リバティータワー1021教室にて、「滋賀県米原市杉沢遺跡における考古学と美術の共同プロジェクト」として、10:25から10:50まで発表があります。

http://archaeology.jp/convention/soukai_2018no84/



矢野先生が発表をしてくださるので、私は聴きに行って、今年のプロジェクトの打ち合わせもします。昨年を踏まえて今年はどんな可能性が広がるのか。
杉沢遺跡で出会う考古学とアート。

蝉の声、鋭い日差しに爽やかな風。

カームバーーーック!あの杉沢の夏。今年もたのしみ。




2018年5月22日火曜日

ぎっくりした。



わかっています。
ブログ更新なんてしてる場合じゃないの、よくわかっています。

今、来月の展覧会の制作で必死、いっぱいいっぱいです。そんな中、人生初の腰の痛み。
どんどん痛みはひどくなり、接骨院へ。

くしゃみも、靴下はくのも、何もかもにおびえて、能の演者のような動きに。
この追い込み時に3割くらいしか動くことも、日常のいろいろを処理することも出来ない。いや、なーんにもする気になれない。痛みとは、いと恐ろしや・・・

接骨院では片側だし、ぎっくり腰だと全く動けないはずなのでぎっくり腰じゃないと言われたが、復活してネットでいろいろ調べると、やはりぎっくり腰の症状とぴったりじゃん!

まだ痛みの名残はあるものの、何とか7割程度は日常生活を送れるようになった。
あまりにも動けない、思うように頭と身体の動きが一致しない日々が続いていたので、なんとか復活しつつある今も何だかすごく変な感じ。なのでここに書いてみたのだ。
まずは状況を客観視してみよう。


設営まであと2週間。
http://pruralworld.work


ああ・・・・・・









2018年5月11日金曜日

同時代の何か #4 


ハルキングこと春木くんのスタジオで、同時代のなにか#4  というイベントがあり、登壇者の一人として話します。何を話すかまだ決めてないけれど、「同時代の中にある同時代らしからぬなにか」について話ができたらいいなあ、と。

(詳細は)
https://www.facebook.com/events/129864964538455/?active_tab=about

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≫≫≫≫≫KOTOBUKI meeting #19≪≪≪≪≪

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KOTOBUKI meeting / CAMP: 同時代のなにか #4
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それぞれの活動や関心などを発表していただき、同時代のなにかについて話し合います。

日時:2018年5月12日(土)19:30〜22:30 ※開場は19:00
定員:30人(当日先着順、予約不要) 参加費:無料

【ゲスト】
奥誠之(アーティスト)
久保田智広(アーティスト)
倉茂なつ子(芸術表象/キュレトリアル)
清水知子(文化理論、メディア文化論/筑波大学人文社会系准教授)
菅原伸也(美術批評・理論)
宮川知宙(多摩美術大学大学院美術研究科博士前期課程彫刻専攻)
横谷奈歩(美術家)

※CAMPページにて随時更新中
http://ca-mp.blogspot.jp/2018/05/kc4.html

【 タイムテーブル 】
<前半>
19:30-21:00|プレゼンテーション
<後半>
21:00-22:30|意見交換

[場所] 台東区寿2-9-1(春木聡 作業場)銀座線 田原町駅 徒歩1分
https://goo.gl/maps/wpTwSn5WTb72

[企画] CAMP, KOTOBUKI meeting

2018年4月15日日曜日

フゴッペ洞窟のこと

"フゴッペ" は、アイヌ語の「フムコイペ(波の音がよく聴こえるところという意味)」がなまって名付けられたらしい。日本海が目の前ですからね。

1500年前の続縄文時代に描かれたと言われているらしく(時代区分が本州と北海道で違うのがとても興味深い。)、昭和25年に中学生の大塚少年が海水浴のついでに見つけたらしい。大塚くん、グッジョブ。

実は、10年前に一度トライしたことがあるんです。2月くらいかな、雪深い時に。
周辺の景色は真っ白で、ズボンの下にレギンス履いて、長靴に4枚くらい重ね着した上にダウンジャケット。布団のような格好で小樽からバスで行ったんだけど、バスの中の乗客も徐々に減って行き、すごい吹雪でバスの外の景色も見えなくなり、私は一体これからどんな異世界に行くのだろうと心底不安になった。
バスを降りると人もいなければ看板もなく、しばらく歩いた。
するとフゴッペ洞窟こちら、と矢印の標識が。しかしその方向に歩けど歩けど何もなく、
ただ、白い景色が続く。

道の途中に止まっていた大きなトラックの高い座席でお弁当を食べてるおじさんに
手を振って、叫ぶ。

「フゴッペ洞窟は、どこですかー!!!」
「こっちじゃないよー!!!」(吹雪のため、声を張り上げる)

車の標識を見間違えていました。
車には数十メートル手前に看板があるでしょう、あれ。
そこを徒歩で曲がっていました。えんえんと道を戻り、がんばってフゴッペ洞窟の博物館らしき建物の目の前に辿り着く。すでに顔はかじかみ。頭の中までまっしろ。

・・・休館中。

こんな時にネガティブな気分になるとヒトは凍死するのかもしれない。
と気を取り直し歩き始めると、道路を渡った海沿いに温泉がみえた。
神さまはいたもんだと近付くと、・・・休館。

バス停に向かってすごすご歩き出すと、ドライブインがあるではないか。
忘れもしないドライブイン。入るとインベーターゲーム卓がテーブルになっている。
窓の外には日本海の灰色の海の波。音楽は忘れもしない「サバ(シバ)の女王」。

https://www.youtube.com/watch?v=uoJ-aZeygiU

・・・思えばここに来るバスの中で、どんどん景色が白く消え、周辺から生きている人も消えていった頃から、私の頭にはずっとサバの女王が流れていた気がする。

打ちつける灰色の波と、サバの女王。

きっと寒すぎて、思考が停止していたのだろう。ドライブインで刺身定食を注文してしまう。
身体は末端まで冷えきっているのに・・・。
周りの地元の人たちは、海老フライ定食とか、ハンバーグとか、温かいものを食べている。
しかし後悔はない。あの刺身定食の帆立の甘さは今でも忘れられない。


長くなってしまった。
それだけ思い入れのある刺身定食、じゃなかった、フゴッペ洞窟にやっと行くことが出来た。

館内に入ると、宇宙的な音楽が流れ、受付のお兄さんが丁寧に対応をしてくれる。
レプリカの洞窟や、展示品のあいだを抜けるといよいよ洞窟の入り口へ。
ガラスケースに囲まれているが、保存のこともあって完全に暗闇である。
神秘的な雰囲気があり過ぎて、他にお客さんもいなくて中に入れず、もぞもぞと数十分、
入り口の前で行ったり来たりして過ごす。もぞもぞ、もぞもぞ・・・

意を決して受付に戻り、親切なお兄さんになんだかんだ理由つけて(中にあるボタンはライトがつくんですか?など変な質問を重ねた。)一緒について来てもらう。
怖くて入れない、とは口が裂けても言えなかったんだもの。







ドライブインの裏の岬。今回はドライブインには入らなかった。

    小樽の総合博物館運河館にて。洞窟の他にもこの辺りは環状列石とか遺跡が多い。


洞窟の中は撮影不可なので、スタンプとレプリカのマグネット。
翼の生えた人とか、踊る人とか、ヒトってこうあるべきだよなあ・・・みたいな
いきいきした像が洞窟内部に描かれていて、ひたすら感動。




2018年4月13日金曜日

サッポロピリカコタン


閉館した白老ポロトコタンや、閉館騒ぎを乗り切って存続へと落ちついたレトロ
スペース坂会館などに行ってから、未来への文化の残し方について考える。
自分の文化を残し、そして受け継ぐ当人たちはどういう思いを持つのか。
少しずつ話を聞いてみたりする。

サッポロピリカコタン(アイヌ文化交流センター)に行った。
ここの展示室は、アイヌの道具などに触れるのも、撮影も自由。

作られた道具の重さを体感したり、表面仕上げの丁寧な仕事や
使いやすさを想像したり。楽しかった。その美しい道具の一部を紹介したい。





         鮭の皮で出来た靴。固くて、軽くて、丈夫なつくり。





糸巻き




これも罠。


透明で綺麗。



ポンチセ(小さな家)の中に入ったら、刺繍を作る女性がいた。
一日5時間くらい、三人の女性が交代で家を守っているそう。
火の神様の周りで、時間をかけてゆっくり、丁寧につくられる刺繍はブックカバーやポーチに
なるそうで、まるで御守りのような存在感。

冬の間にこうして女性は刺繍をして、札幌雪まつりの時に、札幌駅の地下道で販売するんですって。あとは、小学生たちに歌や踊りを見せたりして過ごしていると。
そういえばさっき、ホールの奥から、歌の練習が聴こえてきた。



奥の窓は神様の通り道


            帆立貝に油を入れて、ランプにする。
            灰を利用して、文様を伝える。



           このポロチセの中で、お話を聞いた。

   煙に燻されてすっかり消毒された私は、その後、隣にある温泉「小金湯」に向かった。





2018年4月8日日曜日

レトロスペース坂会館にいった



レトロスペース坂会館。すごいところだ。

私は滞在先で、骨董市がないかを必ず調べる。運良くその街で開催されている場合は足を運ぶ。今回も、たまたま札幌で年1回開催されている骨董市を発見し、その近くのエリアに何か面白そうな場所がないかを探したところ、この場所が引っかかった。

尾道にはロダンもあるし、ひめじやなど、個人コレクションが面白い私設博物館は全国にある。しかし、レトロスペース坂会館、かなり面白かった。まさに驚異の部屋。
ビスケット会社がやっている。ビスケットを買いに来たお客さんが、ついでに見て楽しんでいってくれたら・・・という思いで設立したそうだ。なので入場無料。

入ってすぐに緊縛リカちゃんとか、セクシーなオブジェも多々あるのに、けして下品にならないインスタレーション。迷路のような空間にぎっしりのコレクション。

カオスなのに整然と。整然としているのにカオス。くらくらしてくる。







戦争関連のものがあるのが、風雲文庫を思いだした。





           ジンギスカン鍋が在るのが北海道ならでは?








ボランティアさん。コレクションは売らないけれど、
ボランティアさんの手作りのものは置いて売ってもいいみたい。
手にしているのはかわいい手袋。


目が詰まっていて温かく、丁寧に編まれたのがわかる。デザインも可愛い。
「毛糸代と、ここに来るバス代になればいいと思って・・・」と作者のボランティアさん。
ほんとにびっくりするお値段でステキな手袋をお二つ頂いた。
大切に使わせていただきます。



いろいろお話ししてくださった。
写真撮影と掲載のお願いにも快く応じてくださって。



  時々コレクションの入れ替えもおこなうそう。きっとまた、行ってしまうんだろうなぁ。
  とてもいいところでした。ありがとうございました。