2023年8月5日土曜日

げっぷと毒とサテ(8月4日)

朝は市場へ果物を買いに、目当てのフードコートは朝は開いていない。

朝食を食べそびれて彷徨う。アボカドジュースが無性に飲みたくてたまらない。

結局道を渡ったおばあちゃんの食堂まで。ノーシュガーウィズミルクっていったのに、めっちゃ砂糖入り。じゃりじゃり。

午後はカフェで長居して、原稿の入稿を終える。

 

夜、眠れない(朝4時半のアザーンで起こされる)睡眠不足と疲れを癒しに、KAKIKUのリラクゼーションへ行くことに決める。ジョグジャに着いてから、着くまでも、なんだかんだ張り詰めて頑張っていたしね。夜に近い夕方、混雑時のGrab350もする。高い。行ったらマッサージの予約は19時からしか空いていない。受付のお姉さんの英語が聞き取れない。近くのモールのフードコートに行こうと思ったら、情報が古かったらしく、何もなかった。

結局道の反対のサテを食べに。こんな適当な店でも美味しいのだから、本格的な店はさらにうまかろう。近々サテ専門店に食べに行くことを決める。

 

さて。

マッサージの時間がいつの間にか19時半と思い込んでいて、時間を過ぎて慌てて走る。運良く10分遅れでガタイのいいお姉さんが担当してくれた。

英語を話さないけれど、なんとなく好きな感じの人だった。

この担当女性がとてもマッサージが上手なのだが、お姉さん、時々げっぷが出る。げっぷが最後の方で立て続けに激しくなる。ん?時間が遅いから?夕飯食べたばかりなのかな。なんてその時は思っていた。

 

宿に帰ってきて思い出した。

数年前のマレーシアのプロジェクトで、アーティストグループMAIXと一緒に先住民オランアスリの技術を継承しながら小屋を建てるプロジェクトをしたときのこと。メンバーに、オランアスリの娘、ジューがいた。ハードに山や森の中を動くプロジェクトで、洞窟に行く固い岩場に足を引っ掛け、ひ弱な都会っ子の私はすぐに足を挫いた。

足首はすぐにぱんぱんに腫れた。見かねたジューが、マッサージをしてくれた。

それまで普通にしていたジューは、私の挫いた足を優しく撫で、マッサージを始めると途端にゲップをして、止まらなくなった。ソーリー、ソーリー、と言いながらマッサージを続けてくれた。

なんでもシャーマンのような力を持つ人は、痛みや毒を代わりにげっぷにして吐き出したりすることがあるらしい。その後、私の足は無事に回復した。

 

今日のマッサージの女性も、なんとなくジューに似ていたような。

素朴で、なんだか温かくて親しみやすい。

あのげっぷ・・・私はそんなにも毒を溜め込んでいたのか。

終わった後、ひどく眠い。

今夜はよく眠れそうだ。

2023年8月3日木曜日

彼は、生きていた

もう会えないと思っていた。

やり取りしていたメッセンジャーも2021年で届かなくなり、娘さんのアドレスから届いていたメールに返信しても梨の礫。最終手段に追跡をつけた手紙を送っても、日本から2月に送ったものが4月に宛先不明で郵便局保管になっていた。早い話が音信不通だった。

覚悟はしていた。
ジョグジャについて2日目、とにかく行ってみようと思った。
コロナ前の2019、マレーシアのプロジェクトに行く前に立ち寄ったのが最後。
付近の道で親しんだ店の一部はなくなり、並びの家も建て直されたりしていて、
空白の
コロナ禍の期間に変化した部分が目につく。

ああ、Mr.Ricardoの家も空き地になっていたらどうしよう、と考えながら、
若干の重い足取りで道を進む。
家はあった。しかし玄関には見慣れないステッカーが貼ってあり、若者のサンダルとバイクが置いてあった。もう別の人が住んでいるのかもしれない。家の中も暗い。

たまたま隣の家に人がいた。Mr.Ricardoは?と聞くと、いるんじゃない?と、
暗い玄関の戸をバンバン叩く。反応はない。そして裏からも呼びかける。
玄関の戸が開く。懐かしいお手伝いさんが笑顔で迎えてくれる。

・・・彼は、生きていた。

(今日はここまで)