昨年の暮れ、ふと思い立って沖縄に行った。
抜け殻になりたいと、リラックスしてただぼんやりしたいと思った時に、沖縄に魅かれた。
ノープランの旅だった。
思いのまま、気に入ったカフェで毎朝過ごしたり、市場や街を散歩して、ふらりと那覇のドトールに入ったら20分待ち、オーダーしたものが出てくるまで更に20分と言われ、沖縄時間をこんなところに感じた。現地の先輩に情報を聞いて沖縄市の佐喜眞美術館に足を延ばしたら、美術館の建っている状況にも内容にも驚愕だった。普天間の周辺の商店街もいくつか歩き回った。ほんの短い時間に沖縄の複雑な歴史と状況が、肌から染みてくるような気がした。
(美術館については、現地にて山陽日日新聞の新年号に少し書いた。)
そして、久高島を訪れたのは三日目のことである。
この島を訪れることだけは、何となく決めていた。
縦に長いこの島の突端には水平線が見える岬があり、水平線の先はニライカナイに繋がると言われている。
ひどく揺れる高速船を降り、港の食堂で海ぶどう丼と謎の白い刺身を注文してから40分待ち粛々と食した後、ニライカナイに向け自転車を借りて出発した。地図を見ながら亀甲墓のあいだを通り抜け、いくつもの御嶽を巡った。ある一つの御嶽では、まさにお祈りが始まるところだったので、遠慮しようとすぐに出たら、おばあさんと息子さんが中へ招き入れてくれた。
かつて一度だけ訪れた際の記憶をたぐり寄せながら、その時は徒歩で行けなかった風葬跡などをおぼろげに覚えていたが、大体の場所を地図と身体で確認できた。
白い道に稲穂が揺れて、海の脇の道にはリスか何かの小さな死体があった。
生きているものも死んでいるものも、しっかりと根を張っている。
ここには在る。